「空気を読む」ことは人生に彩りを加える「感性」を育てること

多人数で発言するときなどには、特に「空気を読む」ことが求められます。ただ、何でも空気を読めばいいというわけではありません。

空気を読むということ

「その集合体が目指す目的が何か」ということをまず考える必要があります。

その目的によっては、むしろ空気を読む必要がないこともあります。ここは、集合団体と自分の意思の兼ね合いです。それによって空気を読むか読まないかを判断するということ。空気を読んだ上で何もしないのかどうかです。私もたまに空気を読まないときがあります。

「空気を読む」ということは、全体と個々の意見との総和を取るということです。ただ、空気を読むということは自分をコントロールするということでもあるので、自分がやりたいことを押し殺してまで空気を読む必要はないと思います。「ここでどうしても意見を言いたい」と思えるものがあったなら、礼節を保てばそれは発言してもいいのではないでしょうか。

空気が読める人とは多感な人である

どこかで話をしたかもしれませんが、空気が読めるということは、基本的に多感・敏感であるということだと思います。いろいろなことに気づく人が、空気が読める人なんです。一方で「空気が読めない」と言うとき、いろいろなことを感じられないという意味で使うことがあります。

そしてこの感受性は変わっていくものです。ただ、いろいろなことを感じられない人が多感性を身につけるためには、たくさんのいろいろな経験をして、誰かに教えてもらうことが大切です。

感性を高めるためには

1.感情の種類を知る

感情の種類を知るというのも勉強になります。例えば「怒り」にもいろいろな怒りがあります。イライラ、不安からくる怒り、焦りからくる怒り…いろいろな種類があるんです。

Robert Plutchikが考えた「感情の輪」というものがありますが、それによれば、感情には基本感情と応用感情があり、それが組み合わさってさらなる感情を生み出していきます。そして情動のレベルによっても感情が変わります。

例えば、「怒り」といっても苛立ちと激怒は全く違いますし、悲しみと感傷は違います。人はそう単純ではなくて、いろいろな感情が織り混ざっているということを知っておくといいと思います。

2.体験を言語化する

感性というのは、実は体験だけではそんなに増えません。体験に加えて言語化するものが必要です。
例えば絵画を見たときに、美術の下地がある人ならば、それが描かれた歴史背景や技法などがわかる分、そこからたくさんの情報を手に入れることができます。

「この絵は反戦をメッセージにしている、同じことを繰り返さないために沖縄の塗料を使って描かれた」ということを知って初めて裏の背景がわかります。美術の下地がない人が絵を見て感動したとき、それは全体の半分しか見えておらず、「その絵がなぜすごいのか」という解説を受けることによって、感性は大きく伸びると思っています。

3.そのことの背景を知る

音楽も聴くが半分で、情景を思い浮かべるというのが聴くということなのかもしれません。ミュージシャンが何を伝えたくて、どういうことを思い浮かべながら作ったという情報が入ってきて、初めて完成する。やはり言語化するものがないと感性は伸びていないのではないかというのが私の考えです。

多感であるというのも同じで、自分が「いろいろなことをあまり感じられない」と思うとき、それは見たことに関しての意味や状況がわかっていないだけなのかもしれません。

例えば、ベトナムのホーチミンでは、スクーターに乗っている人がすごく多くくいます。それを見たときに「スクーターの数が多いな」と思うのもひとつの感度です。ですが、なぜスクーターが多いのかということを知るとさらに感じられる情報が増えます。

どうしてスクーターに乗っている人が多いかというと、ホーチミンの人は、お金を貯めたらスクーターを手に入れるというのがステイタスなんです。それを手に入れて、初めて遊びに行ける。だから、みんなこぞってバイクを手にいれるわけです。車よりもまずはバイク。まずはスクーターを手に入れて、そこからがスタートなんです。

そういう背景を知ると、「スクーターが多い街だな」というだけではなくて「お金を手に入れてのステップアップがスクーターなのか。他の国だったらどうだろう」というような考えが出てきたりします。このように、興味や関心を持って見ることによって自分を多感にしていくことができます。

鈍感であること、多感であること

かといって鈍感なことが悪いということではありません。鈍感さは「空気を読まない」と言われることも多いですが、空気を読まずに他人の意見を聞かないからこそ成功してしまうことも多々あります。

ただ、多感な人が感じていられる小さな幸せを感じにくいという一面も併せ持っています。例えば、「今日はいつもよりコーヒーの味が美味しい」というだけで幸せを感じるようなことが、鈍感だと難しいかもしれません。多感だと、幸せを感じられる回数も質も感度が鈍い場合よりも多いものですが、同じように不幸せを感じる回数も多いものです。

多くを感じられること、感じられないこと。どちらが自分にとってよい人生なのかと思ったとき、私は、大変なことが多かったとしても、より多くのことを感じられたほうが人生が色濃くなっていくのではないかと思っています。